2006年11月16日
075.『モノの見方・考え方』を考える
■リアリティ欠如の時代
学校でも社会でも情報が溢れかえっており、またインターネットを介したバーチャルな世界の拡がりのなか、時間の流れがどんどん早くなり、時代が移ろい易くなり、結果的に物事を感覚的あるいは表面的にしか捉えられない、リアリティの欠如した、地に足のついていない社員が増えているような気がします。
実は、このリアリティこそが、社員を成長させる源となります。
■思考の放棄
よく「他社ではどうですか」とか、「一般的にはどうですか」という質問をする人がいます。こういう質問を発した時点で、その人は自らそのことに関して思考することを放棄してしまっています。
このように、他の事例に答えを求めて探し、理解し、良いと思ったものを採用する際には、すでにあるものの選択の確かさは要求されます。しかし、選択肢自体とその前提条件に縛られていることを認識しておらず、また考え方の正しいプロセスを辿っていないため、採用してみたもののしっくり収まりがつかない例が多々あります。
自分に自信がないのか、思考の苦しさから無意識に逃避しているのか、既成概念化したもの、過去に成功を収めたもの、当たり前(と思われているもの)、常識(といわれるもの)、一般・普通(と思い込んでいること)、権威など、すでに確立された(と思い込んでいる)ものに私たちの心は「正しさ」とか「真理」を安易に求めてしまいます。私たちの頭というより、心が思考を放棄してしまう悪癖を持っているため、頭は、借りてきた知識や事例を簡単にコピーして使ってしまいます。
「考える」とは、新しい考えを生み出すことであり、決して、以前から存在しているものを選択することではありません。しかし、往々にして、選択してコピーしたことを「考えた」ものと錯覚しています。
■思考の呪縛
たとえば、改善提案を出しても、そこに具体的な方法が述べられていないと、提案だけに終わってしまい、現実的に改善はできません。経営計画を策定しても、具体性に乏しい場合は、「果たしてどうやって実行するのだろうか」と悩んでしまいます。曖昧という意味を含めた抽象的表現には、発言する者もそれを聞く者も妙に分った気にさせてしまうものがあります。また、色々なものをかき集めて整理する能力や作文能力に長けていれば、その文章は「もっともらしい」雰囲気を醸し出し、読み手は言葉のイメージに流されて、妙に納得してしまいます。
文章の抽象性や美しさにはそのような魔術的な力がありますが、私たちは、それに呪縛されないよう、リアリティに直線的に向かっていくことができる思考プロセスを是非とも身に着けねばなりません。そのためには、まず「具体的には?」とか「なぜ?」とか「それってどういう意味?」という問いを、相手にも自分にも投げ掛ける必要があります。
■思考の礎
思考の拠って立つところは、あくまでも事実であり、真実です。私たちは、そこに物事の真因を見つけようとする賢明さと勇気を持たねばなりません。
人が集計したもの、人が処理したもの、人が話したことなどは、人の手が通ったものです。人の手前に動かし難い事実等があっても、人の手が通ることで、その人の恣意性が発揮されてしまい、事実等が捻じ曲げられます。しかし、私たちは往々にして、人の手が通ったものを「既成事実」のように無意識に認めてしまい、多くの失敗を繰り返します。
物事を突き詰めていったり、問題解決をするときは、人の手を通る前の状態まで遡って、動かし難い事実等を思考プロセスの出発点としなければいけません。
■会社発展のために
このようなリアリティ欠如の時代でも、物事の現象の奥に潜む事実等を視て、地に足が着いた頭の使い方ができる、リアリティの強い社員を一人でも多く育成することが、会社を逞しく発展させる原動力となります。
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